86GR、どうしてそうなった!? これを反面教師に新規事業を考える
そのメーカーコンプリートカーが86GRだ。
トヨタがこれを出した功罪に触れた上で、この罪の部分にに僕らがどんな解決策を提供していくかについて話したいと思う。
※初めに言っておくが、86GRMNはカップカーであるが故に別物だと認識した上で話を進める。
トヨタの罪
罪の部分はメーカーがコンプリートカーを出してしまった事だ。メーカーが出したという事実は、一つの答えを示してしまった事で「試行錯誤」を楽しむというスポーツカー文化の芽を摘んでしまったのだ。
86は本来試行錯誤を楽しむプラットフォームとして開発されたはずだ。
ニュルでクラス優勝したからだろうか。
こういったコンプリートカーが出てくるのはよくある商法だ。
BMWのMやメルセデスのAMGのような位置づけをねらっているのだろうか。
ユーザーニーズは高いと思うから、理解できなくない。
ただそれは、ベース車両とMモデルやAMGモデルはもはや別物、と世間に固く認知されているから成り立つものある。
GRのホームページを見ると、独自の新たな世界観を作りたいと書いてある。
だがそれが「86」として見たらどうだろうか。
ユーザーはどう感じるだろうか?
残念ながら86GRは、86の行き着く先と認識されてしまうのである。
メーカーの言い分は、一つの方向性を示しただけでこれが答えではない、という事かもしれない。
でもそれは造る側目線であり、エンジニア目線であり、悪くいうと上から目線であると感じるユーザーもいると思う。
少なくとも多田さんが、若手と2人で立ち上げたプロジェクト当初の目的は違ったはずだ。
もっと泥臭く、謙虚に、メーカーはユーザーのサポーターになる。
とういう想いだったはずだ。
*参考:プロジェクトの原点「86」第2回
僕らはそれに共感し、スポーツカー文化の発展に僕らなりにコミットしよう強く思った。
そしてその想いが表現された広告を引用し、このブログの初投稿を決意表明とした。
*参考:僕らの趣味はスポーツカーです。
「完成品です」と示してしまった86GR
とにかく、86GRはまず高すぎる。税込506万円〜だ。
装備も高価。
特に、ブレーキなんて、モノブロックのフロント対抗6ポット、リア対抗4ポット。
86にそんなに必要か?
車重、パワーを考えてもオーバースペックだ。
そもそも、速く走りたいなら、500万前後のもっと速いクルマはたくさんある。
それこそ、中古でGT-Rでも買えばいい。
高い部品を付けたよ、速くなったよ!
そんなの当たり前だ。
作り手の意図を知らないユーザーはそう感じてしまうのである。
そう、意図的に設計したバンパーの隙間を、現場の職人が意図をわからずキッチリチリ合わせしてしまうという、ミスコミュニケーションと同じだ。
*参考:これはスーパーカーレベル! トヨタ86GRの生産ラインで見た驚きの光景とは
86は、操る楽しさ、カスタムと同期して向上していくスキル、そういう楽しさを文化として広い世代にアピールしていく、そんなプラットフォームだったはず。
*参考:86“KOUKI”進化の真価 トヨタ自動車 多田哲哉(1)改良を見据えて継続的にレースへ参戦
カスタムしていくことで、自分だけの1台になり、愛着が湧き、走りたくなる。
同じ気持ちが集まり、仲間が広がる。
そんな文化を生み出すツール、というのがトヨタが86で標榜していたものだ。
実現すれば大変意義のあることだ。
高い金でみんなが同じクルマに乗る。
クルマが速いから、スキルの研鑽はある程度まで。
最高級の部品が付いているから、それ以上を探すこともない。
同じクルマで遅かったら、クルマが合ってない。
さすれば愛着も湧くはずもなく、廃れていく。
レースで勝った実績は大事だ。
基礎性能は良い、と思えるし、それを目指したくなるだろう。
でもその過程が楽しいのであり、文化になるのだ。
86にGRは必要なかった 。
くどいようだが86にはGRは設定しないで欲しかった。
86だけは違うのである。
そもそも86はAE86時代から”ユーザー”が作り上げた文化だ。
多田さんはそれを現代でも継承できるよう、より多くの世代がその文化を味わえるようにと企画したクルマのはずだ。
そこにメーカーの答えや世界観はいらない。
余計なお世話だ。
試行錯誤を奪った86GRは、もはや86とは言えない。
250万円の86に200万円掛けた人の想いはどうなるだろうか。
始めたものを自ら殺した。
トヨタはこの罪に真剣に向き合って欲しい。
その中で培った審美眼を、このブログを通して鍛える事だと思う。
メーカーが無味乾燥なプロダクトを出してしまうのは、ユーザー自身が欲しいものを「見える化」できていないことが根本的な問題だと思っているからだ。
自分の投資がメーカーに勝っている部分は何か。
主に「音」、「パワー(馬力)」、「トルク」、「G」などをカスタマイズ前後で変化量を見える化する。
それを今開発中だ。
これによって提供したいユーザー体験は自分の投資が無駄ではなかったという「安心」だ。
これがある事で次に進む意欲が自然と内側から湧いて出てくるものだ。
このユーザー体験をイメージしながら開発を進めている。
僕らが86を選んでいないのはそういう理由だ。
ただし、品質や耐久性では国産車の方が上だと思う。
なのでそれぞれの良いところをつなげ、自動車文化をより発展させたい。
クルマというプラットフォームを介する事で、言語や物理的距離のハードルを簡単に越えて行けると思う。
86を提案したトヨタの意義
*参考:86“KOUKI”進化の真価 トヨタ自動車 多田哲哉(1)改良を見据えて継続的にレースへ参戦
カスタムしていくことで、自分だけの1台になり、愛着が湧き、走りたくなる。
同じ気持ちが集まり、仲間が広がる。
そんな文化を生み出すツール、というのがトヨタが86で標榜していたものだ。
実現すれば大変意義のあることだ。
高い金でみんなが同じクルマに乗る。
クルマが速いから、スキルの研鑽はある程度まで。
最高級の部品が付いているから、それ以上を探すこともない。
同じクルマで遅かったら、クルマが合ってない。
さすれば愛着も湧くはずもなく、廃れていく。
レースで勝った実績は大事だ。
基礎性能は良い、と思えるし、それを目指したくなるだろう。
でもその過程が楽しいのであり、文化になるのだ。
86にGRは必要なかった 。
くどいようだが86にはGRは設定しないで欲しかった。
86だけは違うのである。
そもそも86はAE86時代から”ユーザー”が作り上げた文化だ。
多田さんはそれを現代でも継承できるよう、より多くの世代がその文化を味わえるようにと企画したクルマのはずだ。
そこにメーカーの答えや世界観はいらない。
余計なお世話だ。
試行錯誤を奪った86GRは、もはや86とは言えない。
250万円の86に200万円掛けた人の想いはどうなるだろうか。
始めたものを自ら殺した。
トヨタはこの罪に真剣に向き合って欲しい。
僕らにできる事
ユーザーの審美眼を鍛える
僕らは20年以上、自分達の満足できる物を求め、試行錯誤し続けてきた。その中で培った審美眼を、このブログを通して鍛える事だと思う。
メーカーが無味乾燥なプロダクトを出してしまうのは、ユーザー自身が欲しいものを「見える化」できていないことが根本的な問題だと思っているからだ。
そして次に考えているのが投資効果の「見える化」だ
250万の86に、200万投資した結果、86GRと何が違うのか。自分の投資がメーカーに勝っている部分は何か。
主に「音」、「パワー(馬力)」、「トルク」、「G」などをカスタマイズ前後で変化量を見える化する。
それを今開発中だ。
これによって提供したいユーザー体験は自分の投資が無駄ではなかったという「安心」だ。
これがある事で次に進む意欲が自然と内側から湧いて出てくるものだ。
このユーザー体験をイメージしながら開発を進めている。
その次はグローバル化
国産車と欧州車との文化的価値感は、まだ欧州車の方が20年は先行していると思う。僕らが86を選んでいないのはそういう理由だ。
ただし、品質や耐久性では国産車の方が上だと思う。
なのでそれぞれの良いところをつなげ、自動車文化をより発展させたい。
クルマというプラットフォームを介する事で、言語や物理的距離のハードルを簡単に越えて行けると思う。
文:sion、mushitaro
編集:mushitaro