クルマはエンジンだ!
クルマはエンジンだ!と、僕は声を高らかにして言いたい! そう感じる人は少なくないはずだ。 なぜならエンジンは動力性能だけでなく感性を引き立てる心臓部でもあるからだ。 もちろん、デザインなど他の要素もあるが、そうでなければフェラーリなど倒産していただろう。 直列4気筒を積んだフェラーリに、価値があるとは思えない! (4気筒を否定するわけではなく、価格や性質に見合っているかどうかということ) エンジンが良ければ評価は高くなり、敬意を集める ただし、評価に大きく違いが出てくるのは、このブログにもある通り、車を移動手段として捉えるかどうかである。 移動だけであれば、良いエンジンとは、燃費よく必要なパワーを出せるエンジン、ということになる。 じゃあ、それ以外の場合、良い評価とは何か? それはズバリ、パワーであり、トルクであり、感性だ。 これらのバランスが高くまとまっていた場合、間違いなく高い評価になるだろう。 しかしそう簡単にいくわけではなく、主にスペースや、費用対効果の観点から少しずつ犠牲になっていく。 そうなると、真っ先に置いてかれるのはユーザーが深層部分でもっとも欲しているはずの感性だ。 そして突き詰められるのはビジネス上優位な動力性能だ。 古い自己都合主義から抜けきれない自動車メーカー これは、自動車業界が未だにユーザーより、自分達のビジネスを大切にする自分本位の古い体質から抜けきれない証でもある。 パワーとトルクは、分かりやすい指標となり、搭載車種のスゴさをアピールできる。 カタログの数値でアピールできるようなフラッグシップモデルには、必要不可欠だ。 それこそ、ドバイの新興メーカーの開発したハイパーカーなど、5000psという、よく分からない出力を謳っている。 正に、「指標として」突き詰めた結果だろうが、正直、一部のコレクター以外には不要だろう。 ただ、数字上で、購入者に「スゴイんだぜ」と言わせてあげる姿勢がメーカーの商法として重要だ、ということだ。 なんと自分本位なこと。 生粋のマスターベーターだ! いざ、感性主義へ しかしこれからは、パワー・トルクだけを指標とするなら、モーターでも使った方が効率がいい。 そう、感性、を抜きにすれば、モーターの方が圧倒的に優れているのだ。 でもそれではユーザーであるドライバーとしては物足りない。 僕がクルマ文化に求めるのは「楽しさ