かつてのグランツーリスモで得られた体験



人間って、体験を昇華していく過程が一番楽しいと思える生き物だと思う。

だから、トライアンドエラーを繰り返して、学んで、恋愛して、文化を作り上げてきたんだと思う。

文化に触れていることが、人として生きる意味を見いだせるんだと思う。

グランツーリスモ=バーチャルの役割

sionのコメント。

“俺がグランツーリスモすごいと思ったのは、確か昔mushitaroにグランツーリスモ2を借りたとき、「そこらで走ってるクルマ」が買えて、いじくれて、徐々に「自分なりのクルマ」と「自分なりの運転の仕方」を育てて、最後にはツルシじゃ手も足も出ないようなマシンに勝てたりしたから。それが思春期に、実際にクルマを買えるようになる前に出来たのがミソだった。”

確かにそうだ。

身近なクルマでいじくれるから、いつか自分もこうできるかも、って想いが若いうちに芽生え、想像する楽しさがいつしかアイデンティティの一部になって人として成長していく。 

いつのまにかグランツーリスモは、人生体験をブーストアップするプラットフォームなっていた。   

バーチャル×現実が体験をブーストする

実車もそうだ。

シルビア、シビック、ロードスター、Z…

普通に買えそうなスポーツカーが生産され、「多く」売れるから、中古車でも安く手に入る。俺らでもあれなら買えそうだ、と。

若者がそれを買うから、クルマを持ち寄ってマックとかオートバックス、パーキング、チューニングショップで談義、いわゆるコミュニティが形成される。

情報共有して、徐々にカスタムして、腕が上がって速くなる。

それが楽しい。

グランツーリスモへの期待

僕mushitaroは、グランツーリスモで育った。

グランツーリスモ2のパッケージになっていたS2000。アミューズ S2000 GT1が死ぬほどカッコよかった。そして大人になってS2000を買って、一度は一生乗ると決めた。

ただ家族ができて、車を1台しか持てないからE46 M3を買った。これもグランツーリスモでの“試乗”体験が選択の根底にあった。

こんなグランツーリスモ“初期”で育った現オトナは、多いと思う。

これはもはや文化であって、グランツーリスモはいつまでもこの"文化を育てるプラットフォーム"であって欲しい。

僕らは、グランツーリスモを創る事はできないけれど、グランツーリスモを使ってバーチャルと現実を行き来する体験を提案し、車が好きでたまらない人達の人生をブーストアップはできるんじゃないかと思う。

グランツーリスモ7に期待を込めて。

“グランツーリスモシリーズのファンは、ただ世界中のライバルと1/100秒を競うレースだけではなく、現実と同じく自分好みの愛車を見つけたり、カスタマイズしたり、そしてメンテナンスしたりといったカーライフを楽しみたいという声が上がっていました。”
引用:『グランツーリスモ』が帰ってきた!「グランツーリスモ7」の公開ムービーから内容を大予想



文:mushitaro

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