超高級車に積まれるV12、いったい何が違うのか
「V12」
クルマ好きなら誰しもが一度は頭に浮かべたことがあるだろう。V型12気筒エンジン。
浮かべた先は、憧れを抱くか、または自分には生涯関係ない、と切り捨てるか、それとも一念発起買ってしまうか…
そう、いわゆるスーパーカーにはこぞってV12が積まれた。
それはなぜなのかー
高性能の代名詞
もちろん、いきなりV12が産まれたわけではない。
自動車古代に、高性能化=エンジン性能だとして、「排気量が同じなら、シリンダ数を増やせば内部部品は小型化できる」との考えて作られた。
つまり、部品が小さく軽くできる分、V8などより許容回転数を高くできるわけだ。
さらに、同じ出力を出すのに、一回の爆発は小さくなるから、振動が少なくでき、部品の軽量化によりフィーリングも圧倒的に滑らかになる。
だから、スーパーカーはV12をひたすら積んでいた。
ただ、その分部品数は増えるから、多気筒化=高回転化=高性能化=高価格化、ということになってしまうのだが。
V12サウンドの神話
とある裕福な知人と話をしているとき、僕がマセラティを乗っているのを知っていた彼は、僕に、「なぜ512TRを買わないんだ?(僕が512TRが大好きなのを知っているため)」と聞かれ、心の中で苦笑いしながら、逆に「あなたはなぜマセラティを買わないんですか?」と聞いてみた。
帰ってきた回答はなんと、
「V12を積んでいないから。」
だ。
僕は驚いたが、あぁなるほど、と思えた。
完全にステータスの世界かもしれない。
今時、自然吸気のV12と同じ出力をV8ターボで出せる。
重たいV12を収めておくよりより軽量な、V8ターボにした方がバランスは良く、ドライビングもエキサイティングになる。
だが、そんな現実的な運動性能ではなく、求められていたのはシリンダーが12本付いているかどうか、だった。
ピュアに突き詰めた、究極のエンジン
12というのは何か神々の与えた数字のような気がする。
時計も12、カレンダーも12。
V12は、完全バランスの直列6気筒を複列に並べて作るわけで、もちろん超完全。
シリンダが倍になる分振動がなく、滑らか。
奏でるサウンドも究極で、超高音の唯一無二のそれは、多くのエンスー達を惹き付ける。
もはや、バイオリン、やトランペット、ではなくコンサートホールのオーケストラサウンドだ。
サウンドクリエーターとして思うに、はっきり言ってシリンダーが12本あれば何も言うことはない。それだけで最高のサウンドが作れるのだ。
しかし、各国政府の制約により、究極は今や絶滅危惧種。
メルセデスなどもダウンサイジング、アストンマーティンは電動化。あのフェラーリもカタログモデルはV8ハイブリッドになる可能性を示唆している。
これからの時代にV12が生き続けるには、V12という至高の伝統工芸品として、「工業」から「文化」へと移り変わる時期に来ているのではないだろうか。